エッセイ

 

 

 

 

日本では、「パリー」と言うと必ず「え?」と聞き返されます。音楽家達の間でも、決して知られている作曲家ではありません。でも、イギリスではおそらく、道行く人に聞いたら「あぁ、パリーね」と言うでしょう。

その理由は・・・ぜひ「エッセイ その11」をぜひお読みくださいね。

 

イギリスでは「エルサレム」でお馴染みのパリー。実は、歴史のうえでも非常に重要な役目を果たしました。

「エッセイ その9」でお話したように、1700年代後半から1800年代後半にかけて、イギリス音楽は低迷の時代でした。そこに登場したのがパリー。同世代のスタンフォード(Sir Charles Villiers Stanford, 1852-1924)らと共に「イギリス人による音楽」の復興に尽力しました。

 

 

パリーは、海沿いの町ボーンマスに生まれ、イギリス南西部のグロスター郊外のお屋敷で育ちました。その後ウスターの私立上級小学校、イートン校、オックスフォード大学で学びます。裕福な家の出で、最上級の教育を受けたと言ってよいでしょう。

 

その後、父親が音楽家になることを良く思っていなかったこともあり、有名な保険会社のロイズに就職し、7年間働きました。同じような理由(家族の反対)で、まずは音楽とは関係のない職に就く、というパターンはよくあることですが、パリーのように一流会社のサラリーマンというのも珍しいと思います。

 

働きながらも作曲への意欲を持ち続け、学生時代に引き続き、音楽のレッスンを受けていました。当時ウィーンに住んでいたブラームス(Johannes Brahms,1833-1897)のことを最も偉大な作曲家と尊敬しており、ある時、レッスンを受けたいと申し込みましたが断られてしまいます。その代わりに、イギリス在住のドイツ人ピアニスト、ダンロイター(※)に学ぶことになりました。

 

学生時代から引き続き、大陸ヨーロッパの歴代作曲家たちの作品を熱心に学んでゆきました。特に影響を受けた主な作曲家は、メンデルスゾーン、シューマン、ベートーヴェン、ワーグナー、そしてブラームスです。

 

次第に作品が世の中で認められるようになり、ある時、グローヴ(Sir George Grove, 1820 -1900)という人物に出会います。グローヴは、音楽家ではなかったのですが、熱心な音楽愛好家およびパトロンで、コンサートシリーズを運営したり、「グローヴ世界音楽大事典(Grove’s Dictionary of Music and Musicians, 現在においても、世界的に、音楽家にとって最も信頼のおける最大規模の事典)」の制作を手がけた人。パリーは、この音楽事典の記事の執筆を多く任されることになりました。

 

1883年に王立音楽大学が創設されると、グローヴが初代学長になり、それと同時にパリーは教授に抜擢されます。そして1894年、グローヴが引退すると、その後を継いでパリーが学長に就任し、生涯その職にありました。途中、オックスフォード大学でも教鞭を取っています。

 

パリーは、王立音楽大学で教えた35年間の間に多くの作曲家たちを育てました。教えを受けた中には、「惑星」(あるいは「ジュピター」)で有名なホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)、ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams, 1872-1958)など、その後のイギリス音楽界を牽引した作曲家たちが顔を揃えています。イギリス・ロマン派を育て、花を咲かせた作曲家たちは、たいていパリーの教えを受けました。

 

パリー自身は、5つの交響曲、その他管弦楽作品、ピアノ協奏曲、合唱曲、室内楽曲等を残しました。作曲と同時に、グローヴ音楽辞典の執筆をはじめとして、多くを執筆し、研究本を残しました。

 

当時から現在に至るまで、パリーの作曲作品を褒め称える人々がいる一方で、それ程評価しない人々もいます。

前者の代表は、最も身近で最大の理解者、スタンフォードでした。

後者は「保守的過ぎる」という意見です。確かにパリーは、ヨーロッパ音楽の伝統をしっかり学んだ後、その上に独自の作風を作り上げるという点で弱い部分もあります。さらに残念なことに、学長就任後は、忙しさのあまりそれ程作曲に時間を割くことが出来なかったと想像されます。「教育者としては優れていたけれど、作曲の才能はそれ程でも・・・」という台詞を、私自身何度も聞きました。ゴードン・バック先生が賛成してくれなかった理由も、ここにあるのだと思います(「エッセイ その12」参照

しかし私は、パリーの音楽には、聴く者を何故かホッとさせる心地の良さを湛えていると感じるのです。

「エルサレム」を聴くと「あぁ、イギリスに帰ってきた」と思う人々がたくさんいますが、私は、パリーを聴くと「ここから豊かなイギリス・ロマン派が始まるのだなぁ」と心がわくわくします。

 

 

※ダンロイター(Edward Dannreuther, 1844-1905)

ドイツ人ピアニスト、教師、音楽学者で、イギリスに移住。ショパンやリスト、グリーグ等のピアノ協奏曲のイギリス初演を行った。1895年からはRCMのピアノ科教授。パリーの師であり、同僚だった。バッハやベートーヴェンなどドイツ伝統の作曲家を研究する一方で、同世代の作曲家への興味も深く、特にワーグナーを愛し、ロンドン・ワーグナー協会を設立した。自宅で定期的に演奏会を開催し、パリー等の新作も積極的に演奏した。