エッセイ

 

 

 

 

ンドンでの大学生活が始まりました。
学部の一年生に入ったので、必修授業も沢山あり、宿題も毎週出ます。
毎日毎日英語漬け。でも、ぜんぜん言葉が解らない!

自分で聞きたい事がある時は、質問を準備して聞くことが出来ますが、その答えがわからないし、授業の内容も本当にわかりません。
頭をフル稼動させて、単語の端くれをキャッチしたり、身振り手振りから何を言っているか想像したり、話しかけられる度に緊張で冷や汗が出てきたり。
このような状況にいる人間のエネルギー消費量って結構凄いものだと思います。
だってあの頃は、毎日家に帰るとグッッッタリでした。

そして、英語のこと以上に私が不安に思っていた事、それは、「ヴァイオリンが下手になってしまう」ということでした。
小さい頃から日本を離れる前まで、毎日5時間はしていたヴァイオリンの練習。それが急に、1日1時間だって出来ないような状況になってしまったからです。
英語のせいで何をやるにも人一倍時間がかかってしまうこと、そして、毎日帰宅後は疲れ果て、週末は宿題と格闘・・・。

とにかく語学が大変だった私にとって、ヴァイオリンというのは、何があっても自信を持てる拠り所である筈なのに、「毎日の練習」が出来ないとなると、もう、どうして良いかわかりません。
自分はどうしてここにいるんだろう?
日本にいれば、ごく普通に、楽しく順調に勉強が出来たのに!
・・・こんなやり切れない思いがグルグルと回っていました。
ギルドホール音楽院での最初の学期、私は家で、人知れずメソメソ、メソメソとよく泣きました。

肝心のヴァイオリンのレッスンも、心に大きな負担でした。
というのは、普通、実技のレッスンというのは言葉が完全に解らなくても何とかなるものです。弾いて見本を見せたり声で歌ったり、言葉の理解がなくても「どういう風に弾きなさい」とか「こういう風に弾きたい」と伝え合う事が出来るからです。
でも、私の先生のレッスンでは、言葉がとても重要でした。
この音楽についてどう思うか、どのように弾きたいと思うか、この作曲家について知っていることは?と、いちいち「説明」を求められます。
今度は、質問の意味が解っても答えを言う事が出来ません。
日本語でだって、いちいちその様な事を言葉で説明しようと思ったら、よっぽど準備して行かないと難しいでしょう?それを英語で、なんて。

先生としては、

「何をどういう風に弾きたいのか、はっきりと意思を持って、考えを整理した上で音を出すこと」、そして

「倫子に早く英語を習得させること」

を、一番の目的と思い、多少の荒治療をほどこしていたようでした。
私は、「言葉が不自由なのにどうして質問ばかり!?とにかく弾かせてくれればいいのに!」と、先生をとても恨めしく思ったものです。
レッスン前には図書館に行き、なるべく多くの事を言葉で説明出来るように、調べものをして準備します。が、その結果、さらに練習する時間は無くなっていきます。
図書館に行って調べ物をするのが本当に必要なのか?それとも、とにかくヴァイオリンの練習を優先するべきなのか・・・。
自分が一番するべき事、したい事が何なのか、それもわからなくなっていた日々でした。

ところで私の入学したギルドホール音楽院は、生徒の半分ぐらいが他の国から来た留学生でした。
だから実は、私だけでなく他の人たちもみんな訳が解らずの毎日だったみたいです。
でも私には、他のみんなは何でも知っていて、英語も全部理解していて、そして何の不安も無く自身たっぷりに歩いているように見えたのです。
こんなに英語がわからないのは私だけ・・・と思っていた私は、最初から自分で自分の位置を一歩下げてしまっていて、同級生やクラスメイトたちと話すこともなかなか出来ないでいました。そして、いつも一足遅れて情報を理解しているのだと錯覚していました。
そして、すごく孤独でした。

その頃の私は常に「これは留学ではないんだ。だって、自分で来たくてロンドンに来たわけではないから・・・」とずっと思っていました。
そう思う事で、途中で挫けても言い訳が出来ると思っていた部分もあります。
でも、そうは言ったって、途中で投げ出すという考えすら思い浮かばないほど、とにかくいっぱいいっぱいの毎日だったような気がします。
まさに、強烈なカルチャーショックでした。

今になってみると、とても懐かしく、楽しい思い出です。

 

そんな風に辛く始まった留学も、1年が終わる時には「このまま帰ってはもったいない」と歯を食いしばり、2年が終わる時に両親は帰国することになりましたが「そんなぁ、帰りたくない」と一人残ることになり、4年が終わって卒業時には、名誉ある「1st. class with Honour」(日本で言う「主席で卒業」のようなもの)を獲得することができました(人生の中でも相当嬉しかったことです)。

その後も「まだやりたいことが沢山あるから帰れない」と思い、ねばってねばって、結局7年。

こんなことに、なろうとはね。

・・・つづく