チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード Charles Villiers Stanford (1852~1924) はアイルランド出身の作曲家です。

 アイルランドはイギリスの隣国。「イギリスの作曲家」としてご紹介するのはどうなの?と思われるかもしれまんが、スタンフォードがイギリスの音楽界に果たした役割はとても大きく、実際に生涯の殆どをイギリスで暮らしたこの作曲家は、現在もロンドンのウェストミンスター寺院に、王族や他の著名人らとともに葬られています。

 

 そもそも、アイルランドが独立国となったのは1921年。それまではイギリスが支配する時代が長く続きました。スタンフォードは1852年、ダブリンの裕福な家庭で生まれ、音楽的・文化的な環境で育ちました。名ヴァイオリニストのヨアヒム(ブラームスの親友でもあった)との親交もアイルランド時代に始まっています。

 その後、一族で初めて、アイルランド外の大学、ケンブリッジへ進みます(当時のアイルランドでは、若者がダブリンではなくイギリスの大学に進学することが流行ってきていた)。それ以降、スタンフォードは生涯イングランドに暮らしました。

 

 ケンブリッジ大学で教えるようになり、Cambridge University Music Societyの活動では、自ら演奏しながら大陸の新しい作品を紹介したり、名演奏家を招いたり、そして自作も発表するなど、音楽水準の引き上げに大変な功績を果たしました。ヨーロッパにも留学、旅行等で何度も訪れ、自身を磨くことにも努力し続けました。

 

 その後、英国王立音楽大学(ロンドン)設立の1883年に教授に就任、以後40年余りその職につき、ヴォーン・ウィリアムズをはじめ、ホルスト、アイアランド等、次世代の作曲家達を多く育てました。世界的名声を手にしてゆき、師匠のスタンフォードよりも有名になった作曲家が多く、時代が進むにつれ、本人の名声は陰にかすんでしまう事になりましたが、スタンフォードの存在無くしては、20世紀のイギリス音楽の発展はあり得なかったと言われています。

 

同時に作曲科教授に就任したパリー(1848~1918、エッセイ その12参照)とは当然友人でしたが、スタンフォードの方が明らかに気難しい人物だったらしいということ、そして、第1次大戦後の新しい時代の波に乗るのが苦手だったこともあり、晩年は孤立することもあったようです。

 

 故郷アイルランドに帰ることは少なかったようです。アイルランドでは、独立に向けての運動が起き続ける一方で、イギリスの一部に留まってもよいではないかと考える人々も大勢いて、スタンフォードもその一員でした。しかし作品の中には、交響曲第3番「アイルランド」などをはじめ、アイルランドを偲ばせるものが数多くあります。